・武漢艾可亜人材諮詢有限公司
                                                                                                                  コンシェルジュ上海の掲載記事
                                                                                                                  20070809111651.JPG
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                                                                                                                  10代の頃から、中国に興味を持っていた。仕事をするならばいずれは海を渡って自分を試してみたい―そう考えていた高田勝巳は大学の外国語学部で中国語を学び、在学中に2度の留学経験を積んだ。語学を習得し、大手銀行入行後は駐在員として上海へ。しかるべきキャリアを重ねた後、独立して起業を果たす。一見すると、順風満帆のサクセスストーリーに思える経歴だが、しかしその道のりは、決して平坦なものではなかった。「はじめから独立志向が強かったわけではないんです。中国で仕事をしたいということしか考えていませんでした。」と高田は過去を振り返る。

                                                                                                                  中国に関連した事業を行うという夢を持って銀行に入った高田は、入行後すぐの時期から中国への異動願い届けを出し続けていた。その熱意が認められ、1993年、上海支店の立ち上げ要員として抜擢される。「上司2人と私の、たった3人のプロジェクトでした。私自身、キャリアも実力も未熟ではありましたが、人数がいないぶん能力を超えた大きな仕事を任せてもらうことができました。貴重な経験をさせていただいた時代です。」と高田は言う。まだ財務ソフトも用意されておらず、伝票を手書きで起こすことからはじめ、海外事業のベースをひとつずつ作り上げて行く作業に没頭した。新規事業を開拓しているという充実感と、重要な仕事を引き受けているという誇りを持っていた。

                                                                                                                  上海へきて2年が過ぎたころ、通常であれば管理職に昇格するはずの時期を迎えた。「海外支店の立ち上げという大役を勤め上げた自負がありましたから、当然自分も昇格できるだろうと思っていました。ところが、結果は見送り。昇格できなかった悔しさもありましたが、何よりその理由がわからなかったことに苛立ちました。一切説明はありませんでしたから。」と高田は語る。後に、前の職場での評価が思わしくなく、それが上海赴任後も痕を引きずっていることを新たな上司に知らされることになり、高田は愕然とする。ここは自分が一生を託す場所ではないのかもしれない―そう思い始めている自分がいた。だが、本音で昇格見送りの理由を話してくれた上司の気持ちにも報いたかった。すぐに銀行を辞めようとは思わなかった。

                                                                                                                  評価とは自分の力で勝ち取るもの 昇格、独立、段階を踏み起業へ

                                                                                                                  20070809111651_1.JPG

                                                                                                                  自分の本当の力を試すには、いい機会なのかもしれない―みずからを非常に楽天的だと分析する高田にとっては、逆境も発奮材料となった。低い評価をつけられたままで、辞めるわけにはいかなかった。「現状で評価をされていないと思っている人間が、外へ出ればより高い評価を受けられるということはあり得ない。多少アンフェアだと思っても、そのアンフェアな環境下においてとにかく一定の結果を出すこと。惜しまれて辞めるくらいでなければ、どこへ行っても通用しない。」そう高田は語る。もちろん、プライドもある。なりふり構わず営業し、全世界における海外営業拠点の新規獲得成績で、トップの結果を叩き出した。評価は、自然とついてきた。高田の元へ昇格の辞令が届いたころ、彼の未来への想像力はすでに銀行の外に広がっていた。

                                                                                                                  やがて、そろそろ帰任の時期が近づいていることを上司に知らされる。5年間、海外支店業務に従事しているうちに、日系企業の海外進出業務に関するノウハウは自然と蓄積されていた。折しも、中国がWTO加盟を目前に控えていたころ。

                                                                                                                  「これから益々発展していくであろうこの国を、その中心を担う上海の街を、しっかり見届けていたいという思いは強かった。」という。たとえ数年であっても、今この時期に日本に帰るわけには行かない。生かすべきキャリアと、タイミングが重なった。帰任の道を捨て上海に残る、その決断は自然なことだった。

                                                                                                                  かねてより培ってきた強固な人脈があった。パートナー扱いで受け入れてくれるという法律事務所があり、1998年、そこへ移籍した。銀行時代に得た知識を存分に生かして活躍することができた。また、中国法の基礎を学び、訴訟業務にも関わることでより幅広い知見を得た。やがて、高田は、次なるステップアップを図る。日本の弁護士、会計士とトリオを組み、大阪と上海に共同でコンサルティング会社を開設した。上海の総経理として順調に業務を拡大させ、法務、税務、人事、労務と、仕事の範囲はさらに広がっていった。「事業はうまくいっていました。そうすると欲が出てきたんですね、今考えれば青かったなと思うこともありますが、当時のパートナーとのやり取りで納得できない部分があり、それならばひとりでやってみようと思うようになったんです。」

                                                                                                                  起業後、初めて味わう本物の危機感 今、経営者として思うこと

                                                                                                                  20070809111651_2.JPG

                                                                                                                  こうして’02年、高田は完全独立し、東京と上海に「アクアビジネスコンサルティング」を立ち上げた。「実のところ、あまり見通しはついていませんでした。これまでの積み重ねがあったので、楽観的に何とかなるだろうと甘く考えていましたね。」と当時を語る。

                                                                                                                  大手銀行という看板を捨て、優秀なパートナーとも決別した。弁護士の資格も、会計士の資格もない自分が、コンサルティング会社のトップとしてスタッフを養っていかなければならない―今まで味わったことのない危機感が、心の奥底から湧き上がってきた。「資金繰りをしながら、小さな仕事を積み重ねていかなければならない状態でした。そうすると、お客様の有難みというのが本当にわかるんですね。信頼が最重要のこの世界において、お客様の求めるサービスをいかにして提供していくか。コンサルティングという仕事の本質について改めて考えさせられました。」高田は、本物の危機感の重みについてさらに語る。「生存のための危機が迫っている状態こそが、人間の能力を最大限に発揮できる健全な環境だと私は思います。私はのんびりとした人間ですから、結果的に自分をそのような状況に追い込んだことは正しい選択でした。」

                                                                                                                  だからこそスタッフには、できる限り自立した環境で仕事をして欲しいという。現に、優秀な会計スタッフを独立させて子会社化し、経営を任せた。高田が持つ危機感を共有することで、より大きく育ってほしいという願いがそこにはある。「すべてのスタッフが、独立したビジネスパートナーとして、楽しく働きながら共に会社を発展させていくことができれば、それが最上の幸せです。」

                                                                                                                  「亜可亜諮訊(上海)有限公司」会計顧問(CPA)会計会社総経
                                                                                                                  周群さん
                                                                                                                  Partner's Comment
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                                                                                                                  CMSならドリーマASP